東福寺塔頭正覚庵の樹木葬

正覚庵樹木葬の墓苑

東福寺正覚庵の山門

東福寺正覚庵の庭

東福寺正覚庵墓苑の小隈笹

東福寺正覚庵の墓苑

正覚庵の概要

【 法洲苑 】

都市型樹木葬墓地では、シンボルとなる木などを配した芝生の下に埋葬しますが、正覚庵の自然葬では、古(いにしえ)の万葉の時代からおこなわれていた自然葬に近い弔いの方法です。 正覚庵の先々代”法洲和尚”は戦争中、畑作や燃料とするため多くの木が伐採された境内に戦後少しずつ、杉、桧、桜、楓などの苗木を手植えしました。70 年後それらの木が大きく育ち春の陽気、夏の涼風、秋の紅葉、冬の静寂と四季のうつろいを感じる空間を作り出しました。 この度一画を整備し樹木葬地とするにあたって、法洲和尚の遺徳をしのび法洲苑といたしました。 昨今の家族像や価値観の変化から、お墓の継承者がいなかったり無縁への不安を抱えた人、一人暮らしの人や子供に負担をかけたくないと考える現代人にも安心で、やさしいお墓のカタチです。 法洲苑は、 利用者は、それぞれの区画に埋葬されることになります。たくさんの方々の墓が集まり、全体でひとつの墓となります。個人墓であり、集合の墓でもあります。

【 使用料 / 期間 】

1.墓地利用は、生前申込み、遺骨申込みともに可能です。
2. 1区画の使用料は1人利用50万円、2人利用70万円となります。
(1区画:25cm×25cm、2人利用は上下にて埋葬) ※ご遺骨は、さらし木綿に包み自然に還る方法で埋葬します。 3.ご希望の方は樹木葬地入り口に建つ墓碑にお名前と埋葬区画を刻むことができます。 ※彫刻手数料 1万5000円 が必要となります。
4.使用期間は、最後に納骨された方が33年を迎えるまでとなります。
5.33年以降は、土となったご遺骨の一部を正覚庵内の総墓へ遷座(合葬)し、引き続きご供養します。
6.年間の管理費はありませんが、法洲会(合同法要祭、会報による情報提供等)への入会が必要となります。
7.使用料は、契約締結時に一括してお支払いいただきます。
8.使用者が契約者の場合は証人が必要となります。

【 各種法要 】

1.正覚庵により臨済宗教義に則り春と秋、年二回の合同法要を行います。 2.希望者は、納骨の際及び年忌法要などに際して、正覚庵により臨済宗教義に則った儀礼を行うことができます。(別途お布施が必要になります)

臨済宗大本山「東福寺」について

東福寺は山号を慧日山(えにちさん)といい、臨済宗東福寺派の大本山として7百五十年の法統を連綿と伝える一大本山で 京都五山の一つに数えられ、三百六十余ヶ寺を統括して信仰の中心となっています。秋の紅葉の美しさでも有名。 東福寺慧日山東福寺は、寛元元年(1243年)摂政関白九条道家によって創建され、円爾弁円(後の聖一国師)によって開山された禅の大道場です。 開山聖一国師は建仁二年(1202年)、駿河国阿部郡栃沢村に生まれ栄西の高弟行勇や栄長について禅戒を受けた後、三十三歳で宋に渡り、杭州径山万寿寺の佛鑑禅師の法を嗣ぎ仁治二年(1241年)帰朝しました。 その後、後深草・亀山天皇や幕府執権北条時頼への受戒を執り行うなど朝廷・幕府の帰信を深めました。 また、延暦寺の天台座主慈源や東大寺の円照らを教導し、当時その学徳は国中に讃えられたそうです。聖一国師は、他にも宋から水力で製粉する器械の構造図(水磨様図)を伝え製麺を興し、今に伝わる静岡茶の原種を持ち帰った事でも知らていれます。

東福寺塔頭 正覚庵について

筆供養で知られ、「筆の寺」とも呼ばれている。大正から昭和の初めには俳人川端茅舎が多くの俳句を詠むなど文人墨客が集まる寺となる。境内には筆塚が築造されており、書家・川浪青漣、日本画家・西山翠嶂(1879-1958)、日本画家・西山英雄(1911-1989)、大形筆塚(1967)などの筆塚が立つ。 鎌倉時代(1290年)奥州伊達家4代当主・伊達政依(だて まさより)により東福寺南谷に創建。 開山は東福寺5世・山叟慧雲(さんそう えうん)による。1227-1301 鎌倉時代の僧。安貞元年生まれ。 臨済宗。正嘉(しょうか)2年宋(中国)にわたり、帰国後、京都東福寺の円爾(えんに)の法をつぐ。 博多の承天(じょうてん)寺などをへて、永仁(えいにん)3年東福寺住持となる。

東福寺塔頭「正覚庵」へのアクセス

樹木葬までの地図

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